映像という技術の功罪
ある映像を観て、今更志村ロス。
だっふんだ、の人ももちろん。でも、今回はフジファブリックの方。
若者のすべてのミュージックビデオ(MV)みて泣いてしまった。
もうこの人はこの世にいないんだ
って。
でもMVの中ではギター弾きながら歌ってる姿が映ってて。
それがすごく不思議で、なんというか、生きてるとか死んでるとか、なんなんだろうって考えて、よくわからなくなった。
確かに聞こえてくる歌や映像には彼の命があって、ほんと完全に生きてる。でももう生で聴くことはできないし、もう彼はこの世にはいない。
なんで?ってわけわからない気持ちになった。
なんで彼はあの時死なないといけなかったんだろう。
ひとりきりでクリスマスイブに旅立った、その時の彼の姿を思うと辛くなる。どんなことを思いながらいったんだろう。
MVに映る彼の静かな目を見てると、そんなことを考えてしまって涙がでる。
死んだ人間の、かつて生きていた時を、生々しく残してしまう。映像って記憶より鮮明で便利だけど、それがかえって辛くなることも往々にしてある。
最近、仕事中に目の前で人が死ぬのを見たってのもあって、そういうことを考えさせられるのかもしれないけど。
もうすぐ午前3時。仕事の合間の休憩で1時間ぐらいMV観てしまった。もう今日は終わろう。
おやすみ